4月 20

【特定アジア】中朝韓の共通項は「国を尊び愛し、日本を攘う」


華に対しての夷は、本来、東夷、西戎、北狄、南蛮という方角ごとに違う漢字を当てはめて、獣扱いをしてきた経緯がある。

華夷秩序とは、中華とこの四夷(夷、戎、狄、蛮)の秩序、という意味だが、それなのにそれを示す言葉として華夷秩序に、夷が使われているのは、四夷の中の夷が別格というよりは、夷には二つの意味があって、東の獣の意味と、四方角の獣の総称であったのかもしれない。だからこそ四夷なのだろう。

どちらにしろ、中国において東夷といえば、より古い時代は朝鮮も含まれていたが、伝統的に日本を指してきたことは間違いない。 >>続きを読む

4月 17

【特定アジア】侵略されたからこそ温存された中朝韓の「尊王攘夷」


前回の日本の状況を振り返ると、
・江戸幕府が朱子学を公式学問にする
・江戸中期以降、朱子学が定着し、倒幕の原動力になる
・明治維新は朱子学「尊皇攘夷」が根底となって実現した
・明治~昭和も基本的に朱子学の精神は受け継がれた
・敗戦で、「尊皇攘夷」は完全に否定され、霧散した

一方の中国や朝鮮はどうだったか。 >>続きを読む

4月 10

【特定アジア】「尊王攘夷」が今でも東アジアの根底にある


朱子徳川家康が採用したのは儒教の中でも朱子学であり、井沢元彦氏はこの朱子学を「儒教の中でも最も保守的な考え方をするもの」と位置づける。

朱子学は、中国の宋の時代、朱子によって確立されたが、宋は異民族と最後にはモンゴル族によって滅ぼされる歴史を持っていることから分かるとおり、“夷”に悩まされ続けた“華”だった。そのため、“夷”に対してはとことん排他的な思想になっているのが、朱子学の特徴の一つと言える。 >>続きを読む

3月 23

【特定アジア】日中朝ともに毒された儒教こそが、問題の根源だ


韓国済州島で秋に行われる儒教の儀式清朝も初期の頃はともかく、この頃になると中国化が進み、“儒”の秩序を重んじるようになる。以前までの諸王朝の前例に鑑み、自分たちこそが“華”だと思うのは当然の流れだった。

朝鮮は先ほども触れたように、発祥の中国の体たらくを目の当たりにして、自分たちこそが本場、“華”だと思ったし、日本にいたっては、中国冊封下にないだけに、余計に独立心が強く、自分たちこそが“華”だと思った。

隷属させた琉球に朝貢させたり、朝鮮通信使を朝貢のようなものと位置づけていたのも、日本の“華”に対して、その威を恐れ恐縮し、周辺の“夷”がわざわざ来貢してきた、そう思いたい、そう思うことで、日本なりの華夷秩序が実現すると信じたわけだ。 >>続きを読む

3月 16

【特定アジア】日中朝、いずれも自分たちが“中華”だと思っていた時代


清王朝の創始者であるヌルハチ。清太祖天命皇帝朝服像(北京故宮博物院蔵)漢民族の王朝である宋(960年-1279年)は北方の異民族の脅威におびえ、最終的にはモンゴル族によって滅ぼされる。モンゴル族の王朝が元(1271年-1368年)だ。

その元は、漢民族の明王朝(1368年-1644年)によって取って代わられることになる。しかしその明王朝も、異民族である女真族によって滅亡し、女真族が清王朝(1644年-1912年)を打ち立てる。

こうみていくと、宋以降、明が例外で、中国本土はほとんど漢民族ではない異民族が主役になっている。

これを“儒”の考えで解釈すると、華夷秩序が成り立たなくなるのは言うまでもない。夷が華に取って代わられている状況だから、根本的に矛盾する。もっとも、清王朝も時代が流れると、自分たちが華だと思う、いわゆる中国化が進んでくる。 >>続きを読む