【特定アジア】侵略されたからこそ温存された中朝韓の「尊王攘夷」


前回の日本の状況を振り返ると、
・江戸幕府が朱子学を公式学問にする
・江戸中期以降、朱子学が定着し、倒幕の原動力になる
・明治維新は朱子学「尊皇攘夷」が根底となって実現した
・明治~昭和も基本的に朱子学の精神は受け継がれた
・敗戦で、「尊皇攘夷」は完全に否定され、霧散した

一方の中国や朝鮮はどうだったか。

日本の幕末に相当する時代、中国でも列強による侵略が始まっており、激しさを増していた。日本が「尊皇攘夷」によって多くの血は流れながらも考えうる最短期間で国論を統一、明治政府を樹立でき、その結果列強からの侵略も最小限で抑えることができたのとは違い、中国は1840年のアヘン戦争以来、最後は日本の侵略戦争も含め、実に100年以上の長きに渡る被侵略の歴史を味わうことになる。尊王はともかく、攘夷意識が高まらないほうがおかしい。

朝鮮は、1910年の日韓併合を経て、1945年日本の敗戦によって独立が回復されるまで、やはり被侵略の歴史を味わってきた。同じように攘夷の心が生まれないことはありえない。

以前にも指摘したが、中国も朝鮮も自らは“華”であることに疑いを持ち得ない。それが朱子学だ。それ自体は敗戦までの日本も一緒なのであるが、被侵略の中で中国も朝鮮も心の中でそれを強く願っていなければならなかった、という点が日本とは違う。この状況は朱子学の誕生の時と実によく似ている。

被侵略の中だからこそ、内はより団結し、外に対してはより排他的になる。日本が敗戦によって基本的に尊皇攘夷から脱却した、させられた、できたのに対して、中国と朝鮮にとってはむしろ形は違えど、「尊王攘夷」心はより強固になったとも言える。朱子学が儒教の中でも中心になっていたのに似ている。

戦後、北朝鮮以外、さすがに中国も朝鮮も「王」はいなくなったが、これが国に取って代わり、「尊国攘夷」となったと考えれば理解が早いかもしれない。

だからこそ、中韓両国は異常なまでの愛国心を、特に日本に対して研ぎ澄まし、極度に高め、ぶつけてくることになるわけだ。

そして夷というものは、そもそもが「日本」を示す言葉である。「国(民族)を尊び、愛し、日本を攘う(はらう)」こそが、現在の中韓の尊王攘夷、いや「尊国攘夷」と言える。

余談だが、「愛国攘夷」と言い換えてもよいかもしれない。中国の反日デモにおける「愛国無罪」(愛国的行為であればすべて罪に問われない)という言葉が日本でも認知されたために、「愛国攘夷」のほうが語感としてもよい。

愛国も攘夷も独立して意味が通じる。しかし、尊国というのは基本的に日本語としては成立していない。それでも「尊国攘夷」とするのは、儒教の教えとしての尊王攘夷の語感やそこで使われている漢字をより多く使うことで、儒教色を強めたい意図がある。

写真は安重根。1879年9月2日 – 1910年3月26日。初代韓国統監を務めていた伊藤博文(日本の初代内閣総理大臣)を暗殺したことで、朝鮮半島では現在においても最大の民族的英雄の一人として数えられる。(ウィキペディア)(World Eyes編集S/Y)

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