3月 16

【特定アジア】日中朝、いずれも自分たちが“中華”だと思っていた時代


清王朝の創始者であるヌルハチ。清太祖天命皇帝朝服像(北京故宮博物院蔵)漢民族の王朝である宋(960年-1279年)は北方の異民族の脅威におびえ、最終的にはモンゴル族によって滅ぼされる。モンゴル族の王朝が元(1271年-1368年)だ。

その元は、漢民族の明王朝(1368年-1644年)によって取って代わられることになる。しかしその明王朝も、異民族である女真族によって滅亡し、女真族が清王朝(1644年-1912年)を打ち立てる。

こうみていくと、宋以降、明が例外で、中国本土はほとんど漢民族ではない異民族が主役になっている。

これを“儒”の考えで解釈すると、華夷秩序が成り立たなくなるのは言うまでもない。夷が華に取って代わられている状況だから、根本的に矛盾する。もっとも、清王朝も時代が流れると、自分たちが華だと思う、いわゆる中国化が進んでくる。 >>続きを読む

3月 09

【特定アジア】東アジアのルール“儒”とその華夷秩序


前回までに紹介した1800年ごろの東アジア情勢。

なぜこんな偽りだらけの、だましだましの、よく言えば“大人”の関係だったのか。答えは“儒”だ。

紀元前に孔子が創始し、発展してきた“儒”はこのころの東アジアの唯一のルールであったといえる。

“儒”は簡単に言ってしまえば、親(並びに祖先)に対する孝と、臣下の君に対する忠を中心とした、社会という範囲で言えば士農工商の内なる秩序と、自分と他という意味での外に対する華夷秩序(自分が中心という意味での華、それ以外は野蛮人・夷としての他)を統合し、これを強化維持していくことで社会的安定を図り、統治システムの柱にするということ。 >>続きを読む